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グローバルな視点とはローカルを考えないという訳ではない

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先日、とあるデザイン系のイベントに参加した。
参加者同士で話していると、いつの間にか「グローバル化」についての議論になっていた。

初対面同士ということもあったし、その場では少し遠慮してしまったけれど、このままだともやもやするので、僕の考える「グローバルな視点」について、書き残しておくことにする。

その前に、ここでいう「グローバル」を定義しておこう。

global

covering or affecting the whole world
― Oxford Advanced Learner's Dictionary

"全世界を対象にする、あるいは、全世界に影響を及ぼす" といった感じ。もちろん他の定義もあるだろうが、とりあえず本記事では OALD さんの定義で話を進めることにする。



グローバルとは海外に進出することか?

そうは思わない。結果的にそうなることもあるが、それは手段であって目的ではない。

そもそも「海外に進出する」と選択肢を絞ることは「グローバル」ではない。なぜなら、そこには「国内」という選択肢が抜けているから。つまり、全世界を対象にしていないのだ。それではグローバルとは呼べまい。

グローバルとは、全世界を対象にする。すなわち、国内も含む。ということは、グローバルな視点とは、国内も海外も全てを対象にして比較分析する視点であると言い換えられるだろう。

海外や自国という境界に囚われず、「全世界」という1つのものとして捉える。それこそ、グローバルな視点と呼べるのではないだろうか。


海外進出は様々なリスクやデメリットがあって現実的ではない?

そうかもしれない。ただ、そう決めつけるべきではないと思う。

「海外に進出するからグローバルな視点だ」とも思わないし、「国内でビジネスをするからグローバルな視点ではない」とも思わない。どちらも論点がズレている。

繰り返しになるが、大切なのはもう1つ上のレイヤーで、国内も海外も全てひっくるめてどこがベストなのかを分析しようとする姿勢だろう。

海外進出にはもちろん様々なリスクやコストが伴う。本部が国内にあるとすればコミュニケーションコストは発生するし、進出先の文化や現地の人の特性を知るというコストもある。また、地域によっては、暴動や災害のリスクも高いかもしれない。

それらも全て含めて、コストとして換算すればよい。未知な部分があれば、多めに見積もればよい。そんな簡単にコスト換算できるわけがない?それならば、コスト換算にかかるコストも含めればよい。

そうして様々なコストを算出した上で、「海外がよいのか・国内がよいのか」の判断をすればよいのではないか。実践したことはないので現実味がなければ学生の戯言として流してもらってかまわない。だが、そこまで無理なことではないんじゃないかなと思ったりする。

まとめ

アメリカ留学時代に、「アメリカの大学で感じるグローバリゼーションの兆し。 」という記事を書いた。

グローバリゼーションって、もはやバズワードとかそういった特別なものではなくて、生活に関わるところまできていたりする。

「グローバルな視点」で物事を見るクセをつけなければと思った。



© 2018 Motoki Yoshida